◎早川昭宣名義
「壁越しに‥‥」――「宇宙気流」18号/1964年4月20日
◎早川章名義
「ぬけがら」――「宇宙塵」80号/1964年6月1日
(再)石川喬司・柴野拓美編『日本SF・原点への招待Ⅱ』データ略
「壁」――「宇宙塵」84号/1964年10月1日
(再)柴野拓美編『宇宙塵傑作選Ⅱ』データ略



◎真城昭名義
「砂漠の幽霊船」――「NULL」2号/1974年5月31日
(再)筒井康隆編『'74日本SFベスト集成』データ略
(再)「奇想天外」17号/1977年8月号
(再)筒井康隆編『ネオ・ヌルの時代 PART1』データ略
「兎とりの罠(上)」――「宇宙塵」176号/1975年7月15日
「兎とりの罠(下)」――「宇宙塵」177号/1975年12月31日
(再)柴野拓美編『無限のささやき』データ略



「侵略者たち」――「NULL」4号/1975年8月23日
(再)筒井康隆編『ネオ・ヌルの時代 PART1』データ略
「シデ虫」――「奇想天外」10号/1977年1月号
「白骨のバラード」――「NULL」7号/1977年4月30日
(再)筒井康隆編『ネオ・ヌルの時代 PART3』データ略
「天使の休憩所」――「奇想天外」16号/1977年7月号
「賽の河原に石を積み上げて…」――「奇想天外」19号/1977年10月号



1983年2月28日歿、享年40。
「追悼・真城昭」――「宇宙塵」184号/1983年10月15日
【補遺】6月6日
◎北十字アキラ名義
「ヒロミ」――「宇宙気流」13号/1963年10月25日
◎早川アキラ名義(目次では早川章)
「私の妻が妖精に」――「別冊宇宙気流」2号/1964年7月26日
◎早川章名義
「たそがれの廃墟」――「宇宙気流」27号/1965年2月21日
「ショート・ショート三篇(しかえし・知能テスト・ドア)」――「宇宙気流」29号/1965年4月11日




やはりやっつけはいけませんね。反省しています。
ファンマガジンの「宇宙気流」掲載の作品を除けは、あとの掲載誌や本は持っておりますので(探し出すのが難儀ですが)読めそうです。
商業誌では「奇想天外」しか作品を発表されていなかったのですね。
読んでみます。
もしかすると中間小説誌とかPR誌とかにも寄稿されているかもしれませんけれど、私が調査できるのはここまででした。
ちょうど1冊分くらいありそうですね。1冊にまとまると、私も嬉しいです。
>評論と書評が多かったのか。
詩も書かれていますね。
>「宇宙気流」27号と29号の表紙は早川章ですね。
そうなんですか。気がつきませんでした。オールマイティーの活躍だったんですね。
若くして亡くなられたのが残念です。
トップページに明記してありますように、拙ブログは本名以外のコメントは遠慮いただいています。以後はお気をつけくださいませ。
ご存じかもしれませんが真城さん(早川さん)のプロフィルを紹介させていただきますと、私が知り合った当時は23,4歳だったと思いますが、確か製薬会社に勤務しておられた大変まじめな方でした。
林芳隆さんなどと共に「一の日会」の常連で、小説作品が少しづつ売れ始めていたところで、亡くなられたので私はかなりショックを受けました。
真城昭さんのことは作品を通じてのみしか知りません。お名前を知ったのは「NULL」2号掲載の「砂漠の幽霊船」を読んだときですから、ちょうど50年前です。
「奇想天外」に作品を発表し始めたかと思ったら、突然の訃報。びっくりしましたし、新作を楽しみにしている作家の一人でしたので、とても残念に思いました。
以前のコメントにも書きましたが、作品が1冊にまとまるといいなあと思います。