◎あかぎかんこ『この本読んだ? おぼえてる? 2 教科書で習ったお話編』フェリシモ出版(01)

そんな作品を“こどもの本の探偵”あかぎかんこが探し出します。
私がこの本を手に取ったのは、もしや? と思ったからです。
目次を見ますと――おお、ありましたありました。80ページ「珍しいSF作品」として、星新一「おみやげ」、小松左京「宇宙人の宿題」(なぜか漢字)が採り上げられています。
実際の掲載ページの画像もあり――ほお、こういう誌面構成ですか。
もちろん作品自体は文庫本などで容易に読めるわけですが、教科書を目にする機会は極めて少ないですから、なんだか嬉しいですね。イラストも見られますし。


それはいいのですが、「珍しいSF作品」の冒頭に――
>教科書にSFが載ることは滅多にないと思いますが、それはおそらくSFというジャンルに
>短編が少ない、それと多分に批判精神を持っている……からじゃないのかな、と私は
>思っています。
SFに短編が少ない? ほんと?
まあ、このとき以来、あかぎかんこ(赤木かん子)の書くことには眉唾なのですが。
手塚治虫のエッセイ「アニメーションとわたし」(この記事参照)も採り上げられています。へえ、これは書き下ろしだったのですか。
信じられない発言です。
どこから「SFというジャンルに短編が少ない」と思われたのでしょう。
出来の良い短編SFが山のようにあるのに。
私はSFの面白さと醍醐味は短篇にあり、
SFは短篇に限るとおもっています。
うちの子供が使ってたいた国語の教科書には星さんの「おみやげ」が載ってました。
この教科書は捨てずに残してあります。
そこまで言うと言い過ぎでしょうけど、短編にSFの大きな魅力があることは間違いないと思います。長編になると、冒険小説の要素が強くなるケースが多いですし。
そもそも「SFというジャンルに短編が少ない」なんて言われたら、おもにSFの短編やショートショートを書いてきた人間の立つ瀬がない(笑)。
半分だけ山本さんに賛成です。
確かにSFの粋、SFのコンセプトを凝縮して、蒸留して、煮つめて、結晶だけにすれば、それは必然的に短編という表現形式に行かざるをえないでしょう。しかし、それにこだわってしまっては、私の大嫌いなかっての「にゅーうぇーぶ」になってしまいます。そうなると、そこにはSFの「結晶」だけが、ごろんとそこに転がっていて、それは小説でもなんでもありません。私は極端な「にゅーうぇーぶ」は小説ではないと心得ます。
SFはまず、小説であるべきと思ってます。と、なるとより良き小説たらんとするのならば、短編だけでは片手落ちで、ある程度の分量も必要になる場合もあるでしょう。
ごもっとも。というか、当たり前ですね(笑)。
「SFに短編が少ない」は事実誤認ですから問題ですが、「SFは短編に限る」は個人の嗜好の問題ですから、まあ、それもありかなと思います。
とはいえ山本さん、長編SFも好きなんですよね(笑)。
はい、そのとおりです。
SFを読み始めたころ、夢中になったのは短篇でありショートショートでしたのでそれが、その楽しかった感覚が今も残っているのてしょうね。
その頃に感じた、いわゆるSFのセンス・オブ・ワンダーをまた体験したいと短編SFを読んでいるのかもしれません。
たとえばフレドリック・ブラウンにしても、初体験は『73光年の妖怪』で、短編やショートショートを読むのは1年くらいあとだったと思います。
さらに言いますと、日本のSFを読むのは、そのあとです。中学2年になるまで、日本人がSFを書いているなんて知らなかったりして(笑)。←ほんとです。