
実は私が最初に読んだ広瀬正作品は『鏡の国のアリス』なのでした。確か高校生のころ、いや、中学生だったでしょうか。冒頭の女湯シーンで、思春期だった少年は物語に引き込まれ……(笑)。いやあ、抜群に面白かったですね。当然のことながら、ほかの著作にも手を伸ばしました。『マイナス・ゼロ』『ツィス』『エロス もう一つの過去』……。そのいずれもが面白く、夢中になって読みました。
しかし、私が『鏡の国のアリス』を読んだときには、すでに広瀬正はこの世の人ではありませんでした。すべての著作を読み尽くし、「もう広瀬正の小説は読めないのか」と茫然としたものです。享年47。若すぎます……。
広瀬正が遺した著作は6冊だけですが、そのなかには、ショートショートと短編をまとめた1冊もあります。
『タイムマシンのつくり方』河出書房新社(73)/河出書房新社・広瀬正・小説全集6(77)/集英社文庫・広瀬正・小説全集6(82)/集英社文庫・広瀬正・小説全集6(08)*改訂新版




これがまた傑作揃いでして……。
この本を読まずして、タイムマシンものの小説を書いてはいけません。
なお、初刊本の解説は星新一、以降は筒井康隆です。
最後に、ちょっとマニアックな情報を。
広瀬正の処女長編『マイナス・ゼロ』はSF同人誌「宇宙塵」1965年4月号~13月号(№90~№99)まで、10回にわたって連載されましたが、そのときのタイトルは『マイナス0』なんですね。「0」には「ゼロ」とルビがふられています。
以下、連載第1回が掲載された「宇宙塵」1965年4月号(№90)、そのタイトルページ、最終回掲載の「宇宙塵」1965年13月号(№99)、そして「広瀬正追悼特集」の「宇宙塵」1972年4月号(№163)です。――それにしても「13月号」って、すごいですね(笑)。




「マイナス・ゼロ」以外では「エロス」が印象に残っています。
読み返そうと思いつつ20年ぐらいたちました。
広瀬さんは生前に10を超える長編を構想されていたと聞いてます。そのうちの一編、長命族の話など読みたかったなぁ。
ミュージシャン、紙恭輔氏の評伝は800枚ぐらいまで書きあがっていたそうで、これも読んで見たいものです。
上方落語の「地獄八景亡者戯」を聞くと、「あの世」では亡くなった落語家や役者がいっぱいいるので、もう名優名人ばかりで、娑婆の芝居なんてバカバカしくて見ていられないという描写があります。
この通りだったら、広瀬さんは「あの世」でどんどん長編を発表し、半村さんは「鎌倉大頭脳」とか「唐松族の兄弟」なんて作品と次々と書き上げ、星さんはホシ製薬の社長時代から作家になるまでの頃の話を書かれ、野田さんはハミルトンの「スターウルフ」の新作を訳し、新聞の広告には『小松左京「虚無回廊(完結篇)」近日刊行!』(あっ、これは怒られる)。
こうだったら、死ぬのも楽しみなのですがねぇ。
山本さんが書かれているような「あの世」でしたら、ほんと、行くのが楽しみですね。まあ、まだしばらくは「この世」で楽しみたいです(笑)。
実は最初にこの作品に出合ったのはNHKのラジオドラマでした。ネットで検索すると1973年8月4日となっています。(ラジオドラマをコレクションされている方もいるのですね・・・。)
このドラマの最後のオチで唖然としました。その後集英社の文庫全集をすべて読んだのですが、「マイナス・ゼロ」がやはり一番好きな作品となります。
他にNHKのラジオドラマでは小松さんの「日本アパッチ族」(1972年5月27日)も原作を読むより先に出合いました。このとき初めて聴いた
♪梅田ちょいと出りゃ天満橋 二人揃って中之島
という歌の節回しを今でも覚えています。
NHKのラジオドラマ『マイナス・ゼロ』、うちにも録音テープが残っています。コレクションしていたわけではなく、たまたま、ですが。
宮脇俊三「時刻表2万キロ」
を持っているのですけど、巻末に近刊予定として、
広瀬正「鏡の国のアリス」
が紹介されていました。
河出書房新社から集英社に移る前の龍円正憲氏が企画していたためでしょうけど、一冊目に「マイナス・ゼロ」ではなく「鏡の国のアリス」を持って来た理由はいかに。
「SFイズム」(昭和57年10月)誌に、広瀬正先生の作品一覧が掲載されているのですけど、単行本未収録作品がかなりあるので読みたいです。
幾つかは図書館で読みました。
上記の宮脇俊三先生は、筒井康隆先生が中央公論社で書いた時の担当編集者です。
> 上記の宮脇俊三先生は、筒井康隆先生が中央公論社で書いた時の
>担当編集者です。
へえ。よくまあ、そんなことまでご存じで……。
宮脇俊三にはショートショート集があります。いま、記事を書いてきました(笑)。
以下です。
http://short-short.blog.so-net.ne.jp/2011-07-02