大熊さんのところで、リドル・ストーリーが話題になっていて、私もコメントしちゃっています。
で、ふと思い出しました。
私は日本語の誤用をネタにしたショートショートを数多く書いています。そのなかにはリドル・ストーリーもあって……。
解説付きで、どうぞ。
* * *
好きか嫌いか
「好き?」
「全然」
【解説】世界で最も短いリドル・ストーリーです(たぶん)。
この作品における結末は「全然」ですが、この「全然」の意味するものは「好き」なのか「嫌い」なのか――言い換えると、「全然好き」と答えているのか「全然好きじゃない」と答えているのか、ということです。
「全然」という副詞は「~ない」という打ち消しの語を伴って使われるべきもの(副詞の呼応)ですから、本来でしたら「全然好きじゃない」つまり「嫌い」としか読めないはずなのですが、昨今では、「全然好き」などと間違った使い方をする人が急激に増えています。
すなわち、正しい日本語を理解している人には「嫌い」と読めて、そうじゃない人には「好き」と読めてしまうわけで、これぞまさにリドル・ストーリー――「あえて結末を書かずにおいて、読者の判断に委ねてしまう小説」と言えるのではないでしょうか。まあ、「判断」と言えるか、そこは問題ではありますが(苦笑)。
初出:「赤き酒場」335号(2005年11月号)
2009年08月29日
2009年08月26日
2009年08月24日
『オーストラリアから来た男』
細かい事情は省きますが、もしかしたら……と一縷の望みを抱いて編著者の竹内さんに連絡したところ、「在庫はある。フィニンに興味を持ってくれるのは嬉しいので、差し上げる」と。
それではあまりにも申しわけなく、固辞したのですが、結局、お言葉に甘えることになりました。竹内さん、本当にありがとうございます!
本は今日の昼過ぎに届きました。500ページもある厚い本ですが、文章は読みやすいし内容は面白いし、一気に最後まで読んでしまいました。
本書は「人物編」と「作品編」の二部構成です。「人物編」約100ページ、「作品編」約400ページ。
私はまず「作品編」を読みました。
「SHORT SHORT」2編、「文化紹介」18編、「時事・レポート」9編、「伝承を自然科学の芽でみる」16編。ショートショートとして掲載されているのは2編だけですが、エッセイのなかにもショートショートとして読めるものもあり、楽しませていただきました。いや、ショートショート云々なんて関係なく、読み物として面白かったです。
「文化紹介」では松尾芭蕉、千利休、喜多川歌麿……。「時事・レポート」では日本人と魚に関する考察……。「伝承を自然科学の目でみる」では狐つき、タヌキ、河童、化け猫、『竹取物語』……。フィニンの日本文化や伝承に関する造詣の深さに驚かされました。
フィニンの見方は、まさに外国人ならでは、と言えるでしょう。こういった物の見方が厖大なショートショートのバックボーンにあると考えると、非常に興味深いものがあります。
「人物編」を読むと、フィニンは生前、日本語が達者ではなかったとあり、これまた驚きですが、彼の知識欲や好奇心を支えた多くの日本人も紹介されていて、なるほどと納得しました。地域に根づいた外国人だったのですね。
「英文毎日」にフィニンが投稿を始めたきっかけにも触れられています。同紙の当時の部長はアメリカ育ちの二世で、フィニンとは飲み友だちだったとのこと。フィニンはかなりの酒豪だったようです。
そんなわけで――
実に楽しく充実した時間を過ごさせていただきました。
最後に書いておきますと、竹内さんと『絹のように美しく』の訳者・田村泰さんは職場の(元)同僚だそうです。こういった縁は素晴らしいと思います。
おふたりに、感謝!
2009年08月20日
『絹のように美しく』
田村泰訳『絹のように美しく オーストラリアから来た男 W・A・フィニンのショートショート』徳島出版(09)を読みました。訳者である田村さんから献本していただいた本です。田村さん、ありがとうございます。
副題にもあるように、本書はW・A・フィニン(1900~1958)のショートショート集なんですが、フィニンをご存じの方が、はたして何人おられるでしょうか。
田村さんからは、新聞記事のコピーもお送りいただきました。そこに書かれている紹介文には――

ウイリアム・アレクサンダー・フィニン
昭和22年、47歳の時に進駐軍の一員として徳島
に赴任。その後、徳島の女性と結婚し子どもをも
うけた。進駐軍を辞めた後は一民間人として生
涯を徳島で過ごし、その間、徳島の文化、風俗を
紹介する記事を外国人向けに「英文毎日」などに
数多く書いている。
とあります。文化・風俗の記事ばかりではなく、昭和28年(1953年)からショートショートの執筆も開始。
「訳者後記」によりますと――
「英文毎日新聞」1953年1月14日号に掲載された「満足」がフィニンのショートショート第1作。以来、同年2月に7編、3月8編、4月10編……と書き続け、この年63編。翌54年には38編、55年と56年にはそれぞれ20編、57年25編、58年10編。「英文毎日新聞」に寄稿しただけでも計176編。(フィニンは1958年没ですから、この世に別れを告げる直前までショートショートを書いていたことになります)
今から56年前――星新一がデビューする前に、外国人が日本の英字新聞にショートショートを200編近くも書いていた!
驚くべき事実ではないですか。
私がフィニンのショートショートを読むのは、この『絹のように美しく』が初めてではありません。数年前、田村さんから『W.A.フィニンの「ショート・ショート」(1)』なる冊子(田村さん訳の20編掲載)を送っていただきました。拙著『ショートショートの世界』を読まれた田村さんが、集英社新書・編集部宛に冊子を送ってくれたのです。
冊子を手にし、私は初めてフィニンの存在を知りました。いやあ、驚きましたねえ。嬉しかったですねえ。『ショートショートの世界』を書き、本当によかったと思ったものです。
さて。
『絹のように美しく』には50編のショートショートが収録されています。
50年以上前に書かれたものだけに、古さを感じることは否めません。しかし、それは決して心地悪いものではありません。O・ヘンリーやモーパッサン、チェーホフあたりとも通じる古さ、と言えば、おわかりいただけるでしょうか。
若い人には理解できないであろう事柄に関しては、田村さんが巻末に「注釈 W・A・フィニンのショートショートが書かれた時代背景」として、懇切丁寧な解説を書いています(なんと50ページ!)。この注釈もまた、ひとつの作品と言えると思います。
ショートショートの主流である(と私が考える)SFやミステリ・タッチの作品は少なく、ほとんどは平凡な日常を舞台にしています。オチは、天地が引っくり返るような大仰なものではなく、くすっと笑みを浮かべてしまうような、ほほえましいと表現しては語弊がありますけれど、軽いものが多いです。すれっからしの読者にはオチが読めてしまうかもしれませんが、それもまたショートショートを読む楽しみのひとつだと考えます。もちろん、そういうオチばかりではなくて、アンブローズ・ビアスを想起させる皮肉っぽいオチもあったりして、こういうのも好きですね。
正直なところ、現在の目で見ればショートショートとして高く評価することはできませんが、時代背景を考えれば充分に合格点であり、その驚くべき作品数も含めて、評価すべき作家と思います。58歳という若さで亡くなられたのは、実に残念です。フィニンがもう少し長生きしていたら……と妄想が膨らむのは私だけではないでしょう。
また、亡くなられる前年には星新一がデビューしています。フィニンは星新一の存在を知っていたのか、あるいは、その逆は……? 気になりますが、調査するのは至難の業でしょうね。
ともあれ――
素晴らしい仕事をされた田村さんに拍手、そして感謝です。
余談ですが、フィニンは徳島県下で英語講師をしていて、田村さんはその教え子だったそうです。没後50年あまり経って、こういう本が出版され、フィニンも天国で喜んでいることでしょう。
竹内紘子編著『オーストラリアから来た男 ―W・A・フィニン 人と作品―』原田印刷(00)という本があり、ショートショートも2編訳載されているそうです。ぜひ読んでみたいとネット検索してみましたが、残念ながらネット書店(唯一取り扱いのあるビーケーワン)では品切れでした。ネット古書店にも見当たらず……。どうやら私家版のようで、入手は難しそうです。探求書がまた1冊増えてしまいました。
【追記】12月24日
田村泰さんから冊子を送っていただきました(下の写真)。ありがとうございます。
『絹のように美しく』の地元紙での紹介、読者の声のほか、発刊にまつわるあれこれを田村さんが綴っています。表紙画にも秘めたストーリーがあったのですね。
読んでいると、人と人のつながりを感じ、ほんわかした気持ちになります。
副題にもあるように、本書はW・A・フィニン(1900~1958)のショートショート集なんですが、フィニンをご存じの方が、はたして何人おられるでしょうか。
田村さんからは、新聞記事のコピーもお送りいただきました。そこに書かれている紹介文には――
ウイリアム・アレクサンダー・フィニン
昭和22年、47歳の時に進駐軍の一員として徳島
に赴任。その後、徳島の女性と結婚し子どもをも
うけた。進駐軍を辞めた後は一民間人として生
涯を徳島で過ごし、その間、徳島の文化、風俗を
紹介する記事を外国人向けに「英文毎日」などに
数多く書いている。
とあります。文化・風俗の記事ばかりではなく、昭和28年(1953年)からショートショートの執筆も開始。
「訳者後記」によりますと――
「英文毎日新聞」1953年1月14日号に掲載された「満足」がフィニンのショートショート第1作。以来、同年2月に7編、3月8編、4月10編……と書き続け、この年63編。翌54年には38編、55年と56年にはそれぞれ20編、57年25編、58年10編。「英文毎日新聞」に寄稿しただけでも計176編。(フィニンは1958年没ですから、この世に別れを告げる直前までショートショートを書いていたことになります)
今から56年前――星新一がデビューする前に、外国人が日本の英字新聞にショートショートを200編近くも書いていた!
驚くべき事実ではないですか。
冊子を手にし、私は初めてフィニンの存在を知りました。いやあ、驚きましたねえ。嬉しかったですねえ。『ショートショートの世界』を書き、本当によかったと思ったものです。
さて。
『絹のように美しく』には50編のショートショートが収録されています。
50年以上前に書かれたものだけに、古さを感じることは否めません。しかし、それは決して心地悪いものではありません。O・ヘンリーやモーパッサン、チェーホフあたりとも通じる古さ、と言えば、おわかりいただけるでしょうか。
若い人には理解できないであろう事柄に関しては、田村さんが巻末に「注釈 W・A・フィニンのショートショートが書かれた時代背景」として、懇切丁寧な解説を書いています(なんと50ページ!)。この注釈もまた、ひとつの作品と言えると思います。
ショートショートの主流である(と私が考える)SFやミステリ・タッチの作品は少なく、ほとんどは平凡な日常を舞台にしています。オチは、天地が引っくり返るような大仰なものではなく、くすっと笑みを浮かべてしまうような、ほほえましいと表現しては語弊がありますけれど、軽いものが多いです。すれっからしの読者にはオチが読めてしまうかもしれませんが、それもまたショートショートを読む楽しみのひとつだと考えます。もちろん、そういうオチばかりではなくて、アンブローズ・ビアスを想起させる皮肉っぽいオチもあったりして、こういうのも好きですね。
正直なところ、現在の目で見ればショートショートとして高く評価することはできませんが、時代背景を考えれば充分に合格点であり、その驚くべき作品数も含めて、評価すべき作家と思います。58歳という若さで亡くなられたのは、実に残念です。フィニンがもう少し長生きしていたら……と妄想が膨らむのは私だけではないでしょう。
また、亡くなられる前年には星新一がデビューしています。フィニンは星新一の存在を知っていたのか、あるいは、その逆は……? 気になりますが、調査するのは至難の業でしょうね。
ともあれ――
素晴らしい仕事をされた田村さんに拍手、そして感謝です。
余談ですが、フィニンは徳島県下で英語講師をしていて、田村さんはその教え子だったそうです。没後50年あまり経って、こういう本が出版され、フィニンも天国で喜んでいることでしょう。
竹内紘子編著『オーストラリアから来た男 ―W・A・フィニン 人と作品―』原田印刷(00)という本があり、ショートショートも2編訳載されているそうです。ぜひ読んでみたいとネット検索してみましたが、残念ながらネット書店(唯一取り扱いのあるビーケーワン)では品切れでした。ネット古書店にも見当たらず……。どうやら私家版のようで、入手は難しそうです。探求書がまた1冊増えてしまいました。
【追記】12月24日
田村泰さんから冊子を送っていただきました(下の写真)。ありがとうございます。
『絹のように美しく』の地元紙での紹介、読者の声のほか、発刊にまつわるあれこれを田村さんが綴っています。表紙画にも秘めたストーリーがあったのですね。
読んでいると、人と人のつながりを感じ、ほんわかした気持ちになります。
2009年08月18日
穂村弘のショートショート集
「え? こんなこともしたことがなかったの?」と驚くような初体験がずらり。帯の惹句を引用すれば、“「現実」を怖れ、逃げ続けてきた男が、42歳にして初めて挑む。やるぞ、献血、合コン、部屋探し、そして遂にプロポーズ!”。
独特の感性、軽妙な文体。非常に楽しいエッセイ集でした。
それにしても穂村弘、かなり変な人ですねえ。私も変な人の部類にはいると自覚していますけれど、脱帽してしまいます。
穂村弘の名を意識した(というか、知った)のは、最初はショートショートの書き手としてでした。
『いじわるな天使から聞いた不思議な話』大和書房(94)/『いじわるな天使』アスペクト(05)
『車掌』ヒヨコ舎(03)
『いじわるな天使から聞いた不思議な話』の改題再刊『いじわるな天使』の帯には“幻のファンタジー童話集、待望の復刊!”とありますけれど、これは童話ではないですね。私、ショートショート集リストに入れています。
『車掌』は絵本に近いような造りの本で、シュールな作品が5編収録されています。なかでも表題作「車掌」! とんでもなく暴力的な車掌が登場する、ただそれだけの話で、原稿用紙1枚程度の長さなんですが、異様な迫力に満ちています。「あとがき」によれば、「間違っちゃった。/知らなかったんだ。/ごめんなさい。/だって、/本物の車掌さんをみたことがないんだもの。」とのこと。うっひゃあ、でありますけれど、『現実入門』を読むと、「さもありなん」と頷けてしまいます。
その続編『にょにょっ記』文藝春秋(09)も出ていて、これも読むのが楽しみです(まだ買っていませんが)。
穂村弘とは関係ありませんが――
こちらは『現実入門』とは違って、ハング・グライダーや熱気球など、体験していないのが当たり前のことが多いです。
横田さんは、7回目の挑戦中に落馬して右手首を骨折。予定半ばで連載は終了しました。『現実入門』第1回には、「骨折体験はしたくない」なんて内容のことも書かれていて、もちろん偶然なんでしょうが、ちょっと不思議な気分がしました。
2009年08月17日
ゾンビ映画
お盆。先祖を供養する。ご先祖様の霊が帰ってくる。死者が蘇る。生きている死体。ゾンビ。
こんな連想をしたわけではありませんが、なぜか無性にゾンビ映画が観たくなり、レンタルショップに足を運びました。
借りたのは『ゾンビ・ホスピタル』と『ゾンビ2009』――どちらも予備知識ゼロです。
『ゾンビ・ホスピタル』は期待を上回る傑作でした。正確に言うと、出てくるのはゾンビではありません。精神病治療薬の副作用によって、血を見ると凶暴化し人肉を食らうようになった患者たちです。
その薬を開発した医師が、まさにマッド・サイエンティストでして、大好きな映画『死霊のしたたり』シリーズのヒル医師(主人公ハーバート・ウエストの仇役)を思い出しました。こういうキャラクター、好きですねえ。思い切り楽しく観ることができました。
『ゾンビ2009』は期待とは全く違った意味で楽しめた怪作でした。物語の展開に奇妙な既視感があり、どこかで観たような気がするなあと思いながら観ていて、最後のシーンで、「あ、『エイリアン2』だ~」と閃きました。
そうなんですよ。エイリアンとゾンビの違いこそあれ、ストーリーは『エイリアン2』と酷似しているのですね。ここまでやって、いいんでしょうか。
映画の出来自体は凡作と言わざるを得ないんですが、『エイリアン』シリーズの大ファンとしては、観ておいてよかったと思う1本でした。
6月18日の記事『ナゴム・ホラーライフ』にも書いたように、ホラー映画が大好きです。とりわけゾンビ映画には目がありません。古くはジョージ・ロメロの三部作、ルチオ・フルチの『サンゲリア』など、何度も観ました。『バタリアン』シリーズも好きでしたねえ。ほかにも傑作・怪作・凡作……もしかすると100本以上観ているかもしれません。比較的新しいところでは『デッド・フライト』が強く印象に残っています。これはもう、私のなかではゾンビ映画の殿堂入りです。
ゾンビ映画について語り始めると止まりませんが、そういうブログではありませんので、これくらいで。
こんな連想をしたわけではありませんが、なぜか無性にゾンビ映画が観たくなり、レンタルショップに足を運びました。
借りたのは『ゾンビ・ホスピタル』と『ゾンビ2009』――どちらも予備知識ゼロです。
『ゾンビ・ホスピタル』は期待を上回る傑作でした。正確に言うと、出てくるのはゾンビではありません。精神病治療薬の副作用によって、血を見ると凶暴化し人肉を食らうようになった患者たちです。
その薬を開発した医師が、まさにマッド・サイエンティストでして、大好きな映画『死霊のしたたり』シリーズのヒル医師(主人公ハーバート・ウエストの仇役)を思い出しました。こういうキャラクター、好きですねえ。思い切り楽しく観ることができました。
『ゾンビ2009』は期待とは全く違った意味で楽しめた怪作でした。物語の展開に奇妙な既視感があり、どこかで観たような気がするなあと思いながら観ていて、最後のシーンで、「あ、『エイリアン2』だ~」と閃きました。
そうなんですよ。エイリアンとゾンビの違いこそあれ、ストーリーは『エイリアン2』と酷似しているのですね。ここまでやって、いいんでしょうか。
映画の出来自体は凡作と言わざるを得ないんですが、『エイリアン』シリーズの大ファンとしては、観ておいてよかったと思う1本でした。
6月18日の記事『ナゴム・ホラーライフ』にも書いたように、ホラー映画が大好きです。とりわけゾンビ映画には目がありません。古くはジョージ・ロメロの三部作、ルチオ・フルチの『サンゲリア』など、何度も観ました。『バタリアン』シリーズも好きでしたねえ。ほかにも傑作・怪作・凡作……もしかすると100本以上観ているかもしれません。比較的新しいところでは『デッド・フライト』が強く印象に残っています。これはもう、私のなかではゾンビ映画の殿堂入りです。
ゾンビ映画について語り始めると止まりませんが、そういうブログではありませんので、これくらいで。
2009年08月15日
岬兄悟のショートショート集
何か思いついたら記事を書くというスタンスのブログですが、ここのところ何も思いつきません。7月に更新しすぎた反動かもしれないですね。
無理に更新する気はないのですが、あんまり更新の間隔があいてしまうと、毎日訪れてくれている方々に申しわけありません。ちょっと考えて、書誌リストをアップすることにしました。
いわゆるSF第三世代を代表するショートショートの書き手――岬兄悟のショートショート集リストです。
岬さんとは、1978年秋――互いに商業誌デビューする前に知り合いました。豊田有恒さんのお宅に遊びに行ったとき、岬さんも来られていて、そこで紹介していただいたのです。
会った瞬間に意気投合し、それから毎週のように会うようになりました。小説のことも話しましたが、圧倒的に馬鹿話が多く、もっと多かったのはアホみたいな行動でした。あんなところへ行ったり、こんなことをしたり……。すべては若気の至りであります。
まあ、何をしていたかはともかく(笑)、翌1979年、ふたりとも商業誌にデビューすることができました。とてもいい関係だったと思います。
岬さんとは、私の拠点が関西に移ってしまったこともあり、ずっとご無沙汰状態です。岬さん、お元気ですか~。
というわけで、以下、岬兄悟のショートショート集リストです。
『リモコン・パパ』角川文庫(85)
『ロック・ミー・ベイビー』ハヤカワ文庫JA(86)
『暴走妄想空間』大陸ノベルス(89)
『愛は爆発』双葉社(90)

『過去電話』天山文庫(91)
『感情伝染』ハヤカワ文庫JA(92)
『トキメキ美少女は宇宙人?』小学館・てんとう虫ブックス(92)

ところで。
岬さんのデビューは一応、「SFマガジン」1979年3月号ということになっていますが、実はその前にも商業誌に作品が掲載されています。「小説怪物」創刊号(1978年11月号)に掲載された短編「ふとん奇譚」です。(これは裏話ですが、「小説現代Gen」誌の読者投稿コーナーにショートショート「夜道の争乱」が掲載され、それを読んだ編集者が執筆依頼をしてきたそうです。読者投稿コーナーで岬さんの才能に気づいた編集者、偉い!)
「小説怪物」は隔月刊で計4冊が発行されました。久びさに中身を確認したところ、目次に“ショートショート”という文字が躍りまくっていて、何とも言えない気分になりました。
第2号から始まった連載「一千一字物語」は、1ページに収まる長さのショートショート競作企画です。これは終刊となる第4号(1979年5月号)まで続き、毎回11名が参加していました。改めて眺めると、すごい執筆陣です。
無理に更新する気はないのですが、あんまり更新の間隔があいてしまうと、毎日訪れてくれている方々に申しわけありません。ちょっと考えて、書誌リストをアップすることにしました。
いわゆるSF第三世代を代表するショートショートの書き手――岬兄悟のショートショート集リストです。
岬さんとは、1978年秋――互いに商業誌デビューする前に知り合いました。豊田有恒さんのお宅に遊びに行ったとき、岬さんも来られていて、そこで紹介していただいたのです。
会った瞬間に意気投合し、それから毎週のように会うようになりました。小説のことも話しましたが、圧倒的に馬鹿話が多く、もっと多かったのはアホみたいな行動でした。あんなところへ行ったり、こんなことをしたり……。すべては若気の至りであります。
まあ、何をしていたかはともかく(笑)、翌1979年、ふたりとも商業誌にデビューすることができました。とてもいい関係だったと思います。
岬さんとは、私の拠点が関西に移ってしまったこともあり、ずっとご無沙汰状態です。岬さん、お元気ですか~。
というわけで、以下、岬兄悟のショートショート集リストです。
『リモコン・パパ』角川文庫(85)
『ロック・ミー・ベイビー』ハヤカワ文庫JA(86)
『暴走妄想空間』大陸ノベルス(89)
『愛は爆発』双葉社(90)
『過去電話』天山文庫(91)
『感情伝染』ハヤカワ文庫JA(92)
『トキメキ美少女は宇宙人?』小学館・てんとう虫ブックス(92)
ところで。
岬さんのデビューは一応、「SFマガジン」1979年3月号ということになっていますが、実はその前にも商業誌に作品が掲載されています。「小説怪物」創刊号(1978年11月号)に掲載された短編「ふとん奇譚」です。(これは裏話ですが、「小説現代Gen」誌の読者投稿コーナーにショートショート「夜道の争乱」が掲載され、それを読んだ編集者が執筆依頼をしてきたそうです。読者投稿コーナーで岬さんの才能に気づいた編集者、偉い!)
「小説怪物」は隔月刊で計4冊が発行されました。久びさに中身を確認したところ、目次に“ショートショート”という文字が躍りまくっていて、何とも言えない気分になりました。
第2号から始まった連載「一千一字物語」は、1ページに収まる長さのショートショート競作企画です。これは終刊となる第4号(1979年5月号)まで続き、毎回11名が参加していました。改めて眺めると、すごい執筆陣です。
2009年08月11日
恐怖・怪奇・幻想小説シリーズ
いつも楽しく読ませていただいているブログ「奇妙な世界の片隅で」で、「欧米の怪奇小説をめぐって」という怪奇小説アンソロジーの紹介記事が連載されています。これは好企画ですね。
この手の本は私も大好きですから、紹介されている本のほとんどは所有していますが、読んでいない本も多く、反省することしきりです。私みたいな人間にとって、丁寧な内容紹介は実にありがたいです。ホラーに限らず、異色短編のファンの方には、ぜひ! とお勧めします。
河出文庫の中田耕治編『恐怖通信』(85)、『恐怖通信Ⅱ』(87)も紹介されていて――このあたりは発売時に購入して読んでいますが、ふと、「あれ? 似たような本、もう1冊出てなかったかな」と思いました。書庫で確認してみますと、A・E・ヴァン・ヴォークト『モンスターブック』(86)でした。中田耕治編ではありますが、これはアンソロジーではなく、ヴォークトの短編集ですから、紹介されていないのも当然です。

さて、ここからが本題です。
久しぶりに中田耕治編の3冊を手にして、気がついたことがあります。3冊とも帯に“恐怖・怪奇・幻想小説シリーズ”と書かれているんですね。あと、本の袖に、やはり“恐怖・怪奇・幻想小説シリーズ”の1冊として、デビッド・セルツァー『オーメン』のタイトルもあります。
へえ、こんなシリーズがあったんだ。“恐怖・怪奇・幻想小説シリーズ”って、この4冊以外にも出ているのかなあ。
とまあ、書誌フェチは思ってしまったのです。
簡単にネット検索してみましたが、それらしい本は見当たらず……。
ショートショート関連の資料というわけではなく、どうでもいいと言えばどうでもいいことなんですけれど、ちょっと気になっています。
この手の本は私も大好きですから、紹介されている本のほとんどは所有していますが、読んでいない本も多く、反省することしきりです。私みたいな人間にとって、丁寧な内容紹介は実にありがたいです。ホラーに限らず、異色短編のファンの方には、ぜひ! とお勧めします。
河出文庫の中田耕治編『恐怖通信』(85)、『恐怖通信Ⅱ』(87)も紹介されていて――このあたりは発売時に購入して読んでいますが、ふと、「あれ? 似たような本、もう1冊出てなかったかな」と思いました。書庫で確認してみますと、A・E・ヴァン・ヴォークト『モンスターブック』(86)でした。中田耕治編ではありますが、これはアンソロジーではなく、ヴォークトの短編集ですから、紹介されていないのも当然です。
さて、ここからが本題です。
久しぶりに中田耕治編の3冊を手にして、気がついたことがあります。3冊とも帯に“恐怖・怪奇・幻想小説シリーズ”と書かれているんですね。あと、本の袖に、やはり“恐怖・怪奇・幻想小説シリーズ”の1冊として、デビッド・セルツァー『オーメン』のタイトルもあります。
へえ、こんなシリーズがあったんだ。“恐怖・怪奇・幻想小説シリーズ”って、この4冊以外にも出ているのかなあ。
とまあ、書誌フェチは思ってしまったのです。
簡単にネット検索してみましたが、それらしい本は見当たらず……。
ショートショート関連の資料というわけではなく、どうでもいいと言えばどうでもいいことなんですけれど、ちょっと気になっています。
2009年08月10日
世界ユーモア文学選
ずいぶん前――3月6日の記事「ショートショートの迷宮(第2回)」で、〈世界ユーモア文学全集〉を採り上げました。1960年から1963年にかけて筑摩書房から発行された全18巻の叢書です。
同記事には、以下のように書きました。
* * *
〈世界ユーモア文学全集〉は1969年には〈世界ユーモア文学選〉として、さらに1977年から78年にかけては〈世界ユーモア文庫〉として、全10巻の再編集新装版が刊行された(両者は同一ラインナップ。いずれもソフトカバー)。
―リスト省略―
新装版では、別巻の3冊、さらにはモルナールやボンテンペルリなどの作品もカットされ、少なくとも私にとっては、大きく魅力が失われた叢書になってしまった。先ほど「長編を除いて再編集したら、ショートショートの叢書になる」と書いたが、その逆に近い方針で再編集が行なわれてしまったわけで、残念な限りである。
なお、別巻の3冊は、別の形で新装版(ソフトカバー)が発行され、さらにはちくま文庫にも収録されている。
河盛好蔵訳編『ふらんす小咄大全』筑摩書房(68)/ちくま文庫(91)
井上一夫訳編『アメリカほら話』筑摩書房(68)/ちくま文庫(86)*ちくま文庫版は再編集
浜田義一郎訳編『にっぽん小咄大全』筑摩書房(68)/ちくま文庫(92)
* * *
実は〈世界ユーモア文学選〉は、記事を書いた3月6日の時点で所有していたのは、書影を掲載した『マリナー氏ご紹介/トッパー氏の冒険』だけでした。ほんと、見かけないんですよね。>〈世界ユーモア文学選〉
先日、〈世界ユーモア文学選〉版の『エッフェル塔の潜水夫』を入手しました。巻末に既刊目録があって、それを見ると、『ふらんす小咄大全』『にっぽん小咄大全』『アメリカほら話』の3冊も〈世界ユーモア文学選〉に含まれています。――つまり、〈世界ユーモア文学選〉は全10巻ではなくて、全13巻(あるいは、全10巻+別巻3冊)だったんですね。
別巻(?)の3冊は所有していますが、どこにも〈世界ユーモア文学選〉とは書かれていなくて、気がつきませんでした。いいかげんな調査であったと反省しています。
なお、〈世界ユーモア文庫〉は全10巻で間違いないと思います。
書影はカミ『エッフェル塔の潜水夫』の――左から〈世界ユーモア文学全集〉版(61)の函と本体、〈世界ユーモア文学選〉版(69)、〈世界ユーモア文庫〉版(77)です。

【追記】2011年1月7日
続報をアップしました。→こちら
同記事には、以下のように書きました。
* * *
〈世界ユーモア文学全集〉は1969年には〈世界ユーモア文学選〉として、さらに1977年から78年にかけては〈世界ユーモア文庫〉として、全10巻の再編集新装版が刊行された(両者は同一ラインナップ。いずれもソフトカバー)。
―リスト省略―
新装版では、別巻の3冊、さらにはモルナールやボンテンペルリなどの作品もカットされ、少なくとも私にとっては、大きく魅力が失われた叢書になってしまった。先ほど「長編を除いて再編集したら、ショートショートの叢書になる」と書いたが、その逆に近い方針で再編集が行なわれてしまったわけで、残念な限りである。
なお、別巻の3冊は、別の形で新装版(ソフトカバー)が発行され、さらにはちくま文庫にも収録されている。
河盛好蔵訳編『ふらんす小咄大全』筑摩書房(68)/ちくま文庫(91)
井上一夫訳編『アメリカほら話』筑摩書房(68)/ちくま文庫(86)*ちくま文庫版は再編集
浜田義一郎訳編『にっぽん小咄大全』筑摩書房(68)/ちくま文庫(92)
* * *
実は〈世界ユーモア文学選〉は、記事を書いた3月6日の時点で所有していたのは、書影を掲載した『マリナー氏ご紹介/トッパー氏の冒険』だけでした。ほんと、見かけないんですよね。>〈世界ユーモア文学選〉
先日、〈世界ユーモア文学選〉版の『エッフェル塔の潜水夫』を入手しました。巻末に既刊目録があって、それを見ると、『ふらんす小咄大全』『にっぽん小咄大全』『アメリカほら話』の3冊も〈世界ユーモア文学選〉に含まれています。――つまり、〈世界ユーモア文学選〉は全10巻ではなくて、全13巻(あるいは、全10巻+別巻3冊)だったんですね。
別巻(?)の3冊は所有していますが、どこにも〈世界ユーモア文学選〉とは書かれていなくて、気がつきませんでした。いいかげんな調査であったと反省しています。
なお、〈世界ユーモア文庫〉は全10巻で間違いないと思います。
書影はカミ『エッフェル塔の潜水夫』の――左から〈世界ユーモア文学全集〉版(61)の函と本体、〈世界ユーモア文学選〉版(69)、〈世界ユーモア文庫〉版(77)です。
【追記】2011年1月7日
続報をアップしました。→こちら
2009年08月06日
映画『赤んぼ少女』
映画『おろち』の記事にも書いたように、楳図かずおの恐怖マンガの大ファンです。映像化された作品もほとんど観ていますが、どれも「マンガの怖さ、とても映像では表現できないな」と言わざるを得ないのが残念。
昨夜、楳図ホラーの代表とも言える傑作の映画化『赤んぼ少女』を観ました。
詳しいことは知りませんが、原作マンガは「少女フレンド」連載時には『赤んぼ少女』というタイトルで、単行本化にあたって『のろいの館』に改題。その後『赤んぼう少女』と再改題され、現在は連載時と同じ『赤んぼ少女』に戻された本も出版されているようです。
私が初めて読んだのは、『のろいの館』サンデーコミックス(69)です。ほんと、怖かったですね。>タマミ
で、映画ですが、細かな改変は多く、原作に忠実とは言えないものの、全体の流れとしては原作を損なうものではありませんでした。もちろん原作と比べれば恐怖度は劣りますけれど、ここまでやってくれれば満足です。楳図かずお原作の実写版としては、最上級の出来と言えるのではないでしょうか。
怖いです。しかし切ないです。>タマミ
堪能しました。
昨夜、楳図ホラーの代表とも言える傑作の映画化『赤んぼ少女』を観ました。
私が初めて読んだのは、『のろいの館』サンデーコミックス(69)です。ほんと、怖かったですね。>タマミ
で、映画ですが、細かな改変は多く、原作に忠実とは言えないものの、全体の流れとしては原作を損なうものではありませんでした。もちろん原作と比べれば恐怖度は劣りますけれど、ここまでやってくれれば満足です。楳図かずお原作の実写版としては、最上級の出来と言えるのではないでしょうか。
怖いです。しかし切ないです。>タマミ
堪能しました。
2009年08月04日
星新一「神意」
ずいぶん昔の話になりますが、ある熱烈な星新一ファンの方から、単行本未収録という星新一作品(コピーではなく、ワープロで打ち直したもの)をいただきました。
当時はまだショートショートの研究なんて考えてもいませんでしたので、きっちりとチェックもせず、読んだだけで済ませてしまいました。「星さんの未収録作品、もらったんだよな」という記憶は残っていたものの、それがどこにあるやら、さっぱり覚えていません。
ところがですね、つい先ほど、ひょろんと出てきたのです。作品名は「神意」で、1962年発行の「中二時代」付録に掲載されたと書かれています。(ネット調査してみますと、「高一時代」1961年7月号に「神意」という作品が掲載されているというデータがあります。確かなことは言えませんが、「高一時代」が初出で、「中二時代」は再録なのかも)
それはともかく、読み直してみて――
あれ? これ、単行本未収録ではないぞ。
と気がつきました。記憶をまさぐると、ある作品が思い浮かびます。
さっそく、その作品――「ピーパ星のさわぎ」をチェックしてみたところ、大当たり! 「ピーパ星のさわぎ」は「神意」を改題したものだったのですね。
「神意」をいただいた当時、「ピーパ星のさわぎ」が収録されていたのは『黒い光』秋田書店・ジュニア版SF名作シリーズ(66)だけでした。この本、私は大学生のころに入手し、確実に読んでいるはずです。
なぜ初読時に気づかなかったかというと、いいかげんな読み方をしていたせい、あるいは遥か昔に読んだだけということもあるでしょうが、重要な部分が改稿されていたからです。――それは、星の名前。
舞台となる星の名前が「神意」では“ある惑星”としか書かれていないのです。もちろん「ピーパ星のさわぎ」では“ピーパ惑星”と明記されています。いくらいいかげんな読み方をしていても、たとえ大昔に読んだものであっても、“ピーパ惑星”なんて書かれていたら、さすがに気がつきますよ。
思えば、“ピーパ惑星”って、ちょっと不自然なネーミングです。タイトルに合わせた“ピーパ星”が自然ではないかと思いますが、これは「神意」の“ある惑星”という表記の名残なのでしょう。
大した発見ではないのかもしれませんが、こういうのは嬉しいです。

「ピーパ星のさわぎ」は、現在では『黒い光』だけではなく、『気まぐれスターダスト』出版芸術社・ふしぎ文学館(00)、『ふしぎな夢』新潮文庫(05)にも収録されています。
ちなみに、『黒い光』の目次では「ピーパー星のさわぎ」と誤植されています。発行ぎりぎりの時点で改題・改稿されたのかもしれません。
当時はまだショートショートの研究なんて考えてもいませんでしたので、きっちりとチェックもせず、読んだだけで済ませてしまいました。「星さんの未収録作品、もらったんだよな」という記憶は残っていたものの、それがどこにあるやら、さっぱり覚えていません。
ところがですね、つい先ほど、ひょろんと出てきたのです。作品名は「神意」で、1962年発行の「中二時代」付録に掲載されたと書かれています。(ネット調査してみますと、「高一時代」1961年7月号に「神意」という作品が掲載されているというデータがあります。確かなことは言えませんが、「高一時代」が初出で、「中二時代」は再録なのかも)
それはともかく、読み直してみて――
と気がつきました。記憶をまさぐると、ある作品が思い浮かびます。
さっそく、その作品――「ピーパ星のさわぎ」をチェックしてみたところ、大当たり! 「ピーパ星のさわぎ」は「神意」を改題したものだったのですね。
「神意」をいただいた当時、「ピーパ星のさわぎ」が収録されていたのは『黒い光』秋田書店・ジュニア版SF名作シリーズ(66)だけでした。この本、私は大学生のころに入手し、確実に読んでいるはずです。
なぜ初読時に気づかなかったかというと、いいかげんな読み方をしていたせい、あるいは遥か昔に読んだだけということもあるでしょうが、重要な部分が改稿されていたからです。――それは、星の名前。
舞台となる星の名前が「神意」では“ある惑星”としか書かれていないのです。もちろん「ピーパ星のさわぎ」では“ピーパ惑星”と明記されています。いくらいいかげんな読み方をしていても、たとえ大昔に読んだものであっても、“ピーパ惑星”なんて書かれていたら、さすがに気がつきますよ。
思えば、“ピーパ惑星”って、ちょっと不自然なネーミングです。タイトルに合わせた“ピーパ星”が自然ではないかと思いますが、これは「神意」の“ある惑星”という表記の名残なのでしょう。
大した発見ではないのかもしれませんが、こういうのは嬉しいです。
ちなみに、『黒い光』の目次では「ピーパー星のさわぎ」と誤植されています。発行ぎりぎりの時点で改題・改稿されたのかもしれません。
『妄想の祭典』
鈴木秀『妄想の祭典 ショート・ショート40』文芸社(08)を買いました。
先日、ネットで調べものをしていたとき、偶然この本のタイトルと著者名が目に飛び込んできたんですね。タイトルはともかく、著者名が気になって――
この名前、どっかで見たことがあるような気がするなあ。星さんのショートショート・コンテストだったような気がするけど、う~~~ん、わからんなあ。『ショートショートの広場』や「ショートショートランド」を全部チェックすれば、何かわかるかもしれないなあ。でも、面倒臭いなあ。
おそらく自費出版の(あるいは、それに類する)ショートショート集と思われます。こういった本は数多く出ていますが、すべてを把握するのは不可能に近いです。私のなかでは参考資料的な位置づけ。完全収集の対象からは外していて、新刊で買うことは滅多になく、古本屋で見かけたら買うというスタンスです。(それでも数十冊は所有していると思います。もしかしたら100冊以上かも)
通常でしたら、「ま、いっか」と放置しておくところなのですが、どうにも気になります。しばし逡巡した末、「いいや。買ってしまえ。何か書いてあるかもしれない」と書店に取り寄せをお願いしたのです。
残念ながら、著者プロフィールや「あとがき」には、ショートショート・コンテストに関する記述はありませんでした。「あとがき」は「私とショート・ショートの出会いは、三十数年前、星新一氏の作品を手にした時に遡る」に始まり、「星新一」のオンパレード。星さんに対するリスペクトが伝わってくる「あとがき」です。
実際、収録作をいくつか読んでみたところ、星作品の影響を強く感じました。ショートショートのことがよくわかっているなあという印象です。
著者は昭和30年生まれということで、私よりも2歳上です。星さんのコンテストに応募していた中心世代ですね。となれば、コンテストに応募していても不思議はなく――というより、応募しなかったとしたら、そちらのほうが不自然ではないかと思いますが、もし入選していたとしたら、プロフィールか「あとがき」に書くでしょうし……。
う~~~ん、わかりません。
というわけで、本を買ってみたものの、有力な手掛かりを得ることはできませんでした。私の勘違いなんでしょうかねえ……。
いずれはきっちりとチェックしなければならないと思いますが、とりあえずは放置です(笑)。
【追記】2010年1月11日
続報を書きました。→ここ
先日、ネットで調べものをしていたとき、偶然この本のタイトルと著者名が目に飛び込んできたんですね。タイトルはともかく、著者名が気になって――

おそらく自費出版の(あるいは、それに類する)ショートショート集と思われます。こういった本は数多く出ていますが、すべてを把握するのは不可能に近いです。私のなかでは参考資料的な位置づけ。完全収集の対象からは外していて、新刊で買うことは滅多になく、古本屋で見かけたら買うというスタンスです。(それでも数十冊は所有していると思います。もしかしたら100冊以上かも)
通常でしたら、「ま、いっか」と放置しておくところなのですが、どうにも気になります。しばし逡巡した末、「いいや。買ってしまえ。何か書いてあるかもしれない」と書店に取り寄せをお願いしたのです。
残念ながら、著者プロフィールや「あとがき」には、ショートショート・コンテストに関する記述はありませんでした。「あとがき」は「私とショート・ショートの出会いは、三十数年前、星新一氏の作品を手にした時に遡る」に始まり、「星新一」のオンパレード。星さんに対するリスペクトが伝わってくる「あとがき」です。
実際、収録作をいくつか読んでみたところ、星作品の影響を強く感じました。ショートショートのことがよくわかっているなあという印象です。
著者は昭和30年生まれということで、私よりも2歳上です。星さんのコンテストに応募していた中心世代ですね。となれば、コンテストに応募していても不思議はなく――というより、応募しなかったとしたら、そちらのほうが不自然ではないかと思いますが、もし入選していたとしたら、プロフィールか「あとがき」に書くでしょうし……。
う~~~ん、わかりません。
というわけで、本を買ってみたものの、有力な手掛かりを得ることはできませんでした。私の勘違いなんでしょうかねえ……。
いずれはきっちりとチェックしなければならないと思いますが、とりあえずは放置です(笑)。
【追記】2010年1月11日
続報を書きました。→ここ
2009年08月02日
映画『サイコ』シリーズ
今日は久しぶりに映画を観ました。何を今さら……と思われるでしょうが、『サイコ2』と『サイコ3 ―怨霊の囁き―』です。
シリーズ第1作である『サイコ』は何度も観ていますが、なぜか続編を観る機会を逸していたんですね。もちろん、『サイコ』が傑作なのは、よく承知しています。スリラー映画として、最高峰に位置する作品と思います。
まずは『サイコ2』。――これ、面白かったです。第1作と比べると今ひとつではありますが、充分に満足しました。これまで観ていなかったことを後悔しています。
引き続いて、『サイコ3 ―怨霊の囁き―』ですが……。う~~~ん、悪くはないけれど、観なくてもよかったかな、という感想です。

映画『サイコ』シリーズは――
『サイコ』1960年製作
『サイコ2』1983年製作
『サイコ3 ―怨霊の囁き―』1986年製作
『サイコ4』1990年製作(テレビ映画)
『サイコ』1998年製作(第1作のリメイク版)
3のあとの2作品は未鑑賞です。どんな内容なのか、簡単にネット調査してみました。これは観ないほうがいいのかも。
言うまでもありませんが、第1作『サイコ』はロバート・ブロック原作の映画化です。
ブロックによる『サイコ』シリーズ邦訳は以下の通り。
『気ちがい』ハヤカワ・ポケット・ミステリ(60)/『サイコ』ハヤカワ文庫NV(82)*改題
『サイコ』創元推理文庫(99)*新訳
『サイコ2』創元推理文庫(83)
『サイコハウス』創元推理文庫(92)

ブロックの短編集に関しては記事「ロバート・ブロックの短編集」と『トワイライトゾーン』でリストを挙げています。ご参考に。
シリーズ第1作である『サイコ』は何度も観ていますが、なぜか続編を観る機会を逸していたんですね。もちろん、『サイコ』が傑作なのは、よく承知しています。スリラー映画として、最高峰に位置する作品と思います。
まずは『サイコ2』。――これ、面白かったです。第1作と比べると今ひとつではありますが、充分に満足しました。これまで観ていなかったことを後悔しています。
引き続いて、『サイコ3 ―怨霊の囁き―』ですが……。う~~~ん、悪くはないけれど、観なくてもよかったかな、という感想です。
映画『サイコ』シリーズは――
『サイコ』1960年製作
『サイコ2』1983年製作
『サイコ3 ―怨霊の囁き―』1986年製作
『サイコ4』1990年製作(テレビ映画)
『サイコ』1998年製作(第1作のリメイク版)
3のあとの2作品は未鑑賞です。どんな内容なのか、簡単にネット調査してみました。これは観ないほうがいいのかも。
言うまでもありませんが、第1作『サイコ』はロバート・ブロック原作の映画化です。
ブロックによる『サイコ』シリーズ邦訳は以下の通り。
『気ちがい』ハヤカワ・ポケット・ミステリ(60)/『サイコ』ハヤカワ文庫NV(82)*改題
『サイコ』創元推理文庫(99)*新訳
『サイコ2』創元推理文庫(83)
『サイコハウス』創元推理文庫(92)
ブロックの短編集に関しては記事「ロバート・ブロックの短編集」と『トワイライトゾーン』でリストを挙げています。ご参考に。